地方の医師不足の発端となった新医師臨床研修制度の問題点

苛酷な勤務環境の医師

全国の医療機関、なかでも地域医療を支えている地方の国公立病院や公的病院での医師不足が大きな問題となっています。

一部の診療科を除き、多くの領域で医師が足りない状況が10年以上続いているわけですが、特に産科、小児科問題は深刻で、分娩の休止や制限、診療科の閉鎖に踏み切らざるを得ない医療機関も出てきています。

また救急医療でも医師不足によって救急告示をする病院が減少したことから、いざ救急搬送をしようとも受け入れを行う病院の病床が満床のため、遠方まで搬送しなければならない事例が頻発しマスコミでも大きく報道されたことは記憶に新しいところです。

総務省消防庁では毎年、救急車が呼ばれてから実際に病院に搬送されるまでの「平均病院収容時間」を公表していますが、1998年が26.7分だったのに対し、2013年では38.7分と年々数字は悪化してきています。首都圏の数字は特に深刻で東京は49分、千葉県と埼玉県が40分となっています。

超高齢化社会の到来で今後、糖尿病や高血圧をはじめとする生活習慣病を診る内科医の役割もますます重要となることが予測されますが、内科医の医師不足も大きな問題です。

医師不足は、地域住民が健康な生活を送るうえで必要な医療が提供できなくなるだけでなく、医師がいないことで病院収益が悪化し、病院の存続が危ぶまれるケースにもなりかねません。実際、銚子市立総合病院では常勤医師が大幅に退職したことで、収益が急激に悪化し2008年9月に診療休止になる事態となりました(2010年銚子市立病院として診療再開)。

先進国をはじめとする34カ国が参加しているOECD(経済協力開発機構)では、人口1.000人当たりの医師数を公表していますが、加盟国平均が3.2人であるのに対し、日本は2.2人と平均を大きく下回っています。日本はいつからこんなに医師が不足するようになったのでしょうか。

原因は様々ですが、専門家の間で真っ先に指摘されるのは2004年4月から導入された「新医師臨床研修制度」です。従来、医師国家試験に合格した新人医師は、出身大学の医局に所属し、大学病院や医局が派遣する関連病院で診療しながら、専門家の医師としてスキルを磨いていくというのが一般的なキャリアステップとなっていました。

新制度では、研修プログラムを提供する病院で2年間にわたり研修を受けることが義務付けられました。この精度の大きな特徴は、研修を受ける新人医師が自分の意思で研究を受けたい病院を選ぶことができ、病院側の希望と付き合わせる「マッチング」で決定されるという点です。

この結果、本来なら地元の出身大学の医局に入局したはずであろう相当数の医師が、症例数が多く、最新の医療設備が整い、著名な指導医が籍を置く大都市の有名病院を目指すようになり、研修終了後もそのまま勤務するケースが増えたたため、大学医局の人材が慢性的に不足するようになりました。

このため人員に余裕があった時代の医局のように関連病院、僻地の病院に医師を派遣することができなくなり、人員を引き上げざるを得なくなりました。医局からの派遣に頼れなくなった病院は残った人員がそのまま従来の業務を行っていましたが、人員不足による苛酷な労働環境でバーンアウトし、退職が相次ぎ、さらに労働環境が悪化するという負のスパイラルに突入したのです。

極端な例では、診療科の医師全員が退職(天草市立牛深市民病院、北見赤十字病院、江別市立病院など)するという事態も起きました。地理的な条件が悪く、常勤医師の大半を医局からの派遣に依存していた地方の国公立・公的病院などが、医師の引き上げの影響をもろに受けることとなりました。

医師の絶対数不足や地域・診療科の偏在などにより、いかに人材を確保するかが各医療機関の大きな課題となっているなか、出産や育児で臨床の場を離れた女性の復職を支援する再就職プログラムが注目を集めています。出産・育児と仕事の両立も大変ですが、女医の婚活は一般の女性と異なり、結婚適齢期を研修医として一番忙しい時に迎えるので、出会いを見つけるのも一苦労するようです。

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